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Vacation

沖縄 1984

初めての慰安旅行。
沖縄の空。

沖縄には、1年先輩の下地先生が開業していて、私と小松君を朝方まで接待してくれました。その下地先生は本当に面倒見の良い先輩でしたが、大動脈瘤で亡くなってしまいました。

万座毛でのスナップ。
スタッフの一人が朝方までホテルに帰らず、心配で殆ど眠れませんでした。
今みたいに携帯があれば良かったのですが。
街で知り合ったブティクの人と意気投合し、朝まで話し込んでいたらしいです。
旅先ではちょっと羽目がはずれやすいのかな。

長女は6才でしたが、生まれて初めてベンダーでジュースを買ってもらい、嬉しさのあまりどうしたらよいか分からなかった、と述懐しています。

岩手県プータロー村

岩手県プータロー村のバンガローにて1泊の慰安旅行。秋の行楽シーズンだったため、翌日は八幡平に行く予定が、混雑のため中止になりました。

こんなおどけたポーズをしていますが、仕事にかける意気込みは半端ではありませんでした。
虫歯と義歯の診療に、歯周病を加えたきっかけも彼が作りました。

夕食作り真っ最中。
カレーライスや変わり餃子などを作って楽しみました。
石森さん(当時残間さん)が持っているのが、その餃子?
小松君の提案したレシピでした。

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テニスもしました

GUAM 1990

1990年10月、
連休を利用してグアムへ。
初めての海外旅行。

当時は成田発着でした。

海外は不安なので、
『大手町歯科医院』と合同の慰安旅行になりました。

市内観光で楽しんでいる様子

大手町歯科医院のスタッフの皆さん。
旅行慣れした雰囲気で、余裕があります。

右側の白い服の人がガイドさん。
恋人岬で、「娘を一ヶ月預けなさい。あっという間に英語が話せるようになるよ。」と言われ、真に受けた次女はグアムに置いていかれるのではないかと泣きそうになっていました。
一番奥で落ち込んでいます。

猪苗代先生と東條先生は同期。
その頃、渡辺先生は
大学の矯正科に残り勉学中でした

ディナーショウ

何故か、東條先生が舞台にトウジョウして踊ってしまいました。

食事には、食べきれない程沢山の海老が出て驚きました。松木君は残すのはもったいないと言って、頑張ってくれました。

北海道?

北海道?への慰安旅行。
院長は腰痛のためキャンセル。
そのため、手元には出発時の写真しかありませんでした。

​仙台駅東口、出発前。

慰安旅行 1999.9

篝火の宿『緑水亭』にて。

何かのゲームだったのでしょう。
外れなしの景品があり、
各自何かもらいました

大貫先生。床の間に飾ってあった扇を持ってきどっているのか、踊っていたのか?

GUAM 2

院長は腰痛のため欠席。

渡辺先生、齋藤裕子さん、渋谷久美子さんは、家族の関係で数泊の旅行は無理で、結局お子さんたちを連れて秋保温泉1泊の慰安旅行。

憧れのHAWAII

飛行機から撮影したワイキキビーチ

この旅行は、大手町歯科医院と合同の慰安旅行だった気がします。

海外旅行の際、初めての場所は割と小山先生にお世話になりました。

仙台駅。

成田空港
出発ロビーにて記念撮影。

クアロア牧場


オアフ島の東海岸にあるアクティビティ・サークル。
ヘリコプターでの観光、乗馬や射撃、テニスなど。
ジェラシック・パークのロケ地になったそうです。

市内観光


高台にある記念公園(Punchbowl ?)。
第二次世界大戦の戦没者の墓地です。
事情は分かりませんが一時期閉鎖されました。

黒メガネのやばい三人組に、
私もまーぜーて! 
真面目そうな雪枝ちゃんと稲辺さん。

ワイキキビーチ
スニーカー・オン・ザ・ビーチ

ワイキキビーチ


院長と猪苗代先生のヘッドの間にダイヤモンドヘッド

Nuuanu Pali 


展望の良い高台。
島内観光では必ず訪れる場所。

ワイキキの海岸地区とは天候が違い、風が強く、雨も多い地区。

海からの湿った風が、山の斜面に当たって、雨を降らせるのかな。

​周囲はちょっとしたジャングル。

HAWAII 2

ゴミが殆ど落ちていません。朝早く観光課職員?が清掃していました。
もちろん、ビーチでの飲酒も禁止。

​しかし、パーカーの中などに隠して、こそっとビールを飲む輩も・・・

日立のコマーシャルで有名な「この木なんの木、気になる木」
市内観光の時、バスの運転手さんに無理やり頼んでつれて行ってもらいました。

「見たこともない木ですから、見たことのない花が咲くでしょう」

サンセット・クルーズ
船上からワイキキを臨む。
これから夕日が水平線に沈みます。

袴田君は、サンセットクルーズのさなか、外国人の衆目も気にせずストリートダンスを披露し喝采を浴びました。

上の画像をいじってみました

突然踊り出したため、皆驚きましたが、あまりに上手なので、手拍子でますますその気にさせてしまいました

もの凄いスピードで走る
「快速ボート」

市内観光

 

Nuuanu Pali
もっとも眺めが良い場所らしく、ワイキキビーチやカントリークラブが一望されます。

イタリアンレストランで夕食。
店の名前は忘れましたが、チーフが日本人で、丁寧な接待を受けました。

こんな写真も見つかりました。

何時の旅行かは不明ですが、この旅行は、星野先生がいた時です。
なぜなら、泰恵さんが飯淵歯科医院に勤務していて、何となくお互いにハワイで偶然合流するように企画したからです。

SYNGAPOLE

飯淵歯科医院との合同慰安旅行(偶然!?)

亜熱帯であるばかりでなく、地域独特の地勢のせいか、湿度が高く、皮膚の弱い人には優しい空気だそうです。

シンガポールでは、常に現地の専属ガイドさんとカメラマンが随行し、殆どが観光でした。

とりわけ動物園は必見です。

旅の情緒で、カメラマンと恋に落ちたスタッフもいて、なかなかの慰安旅行でした。

帰国してから、ガイドさんに相談したところ、「よくある話で、はしかみたいなもんだから。気にしないで。」と言われました。

その当時は呑めたんです。

デカジョッキが有名な、今で言うCAFFEBAR

一人で持ちきれない程のジョッキで
昼から飲んでしまいました。

三人娘、同期です。
この時代辺りから、写真撮影のとき PEACE signが出没します。

これをやったのは安田君だけ!

超有名なホテルのクラブへ。

飯淵先生がバンドに加わったり、
皆踊ったりと・・・

高級なので、飲み物を制限したのに、
全員忘れてしまうほど楽しかった。

支払いの段階で、院長四苦八苦。

飯淵先生と

HAWAII 3

オアフ島での観光スポットで、大人も子供も楽しめるのが水族館。
私たちもハワイに行く毎に、水族館に訪れます。

・・・・・・・・・
やっぱりハワイは暑い!
でも湿度が低く、木陰は涼しい風が吹きます。
たまにスコール!

レンタカーを借りて島内観光。
ワイキキを出て、10分後にはある車が迷子になってしまいました。
携帯を借りていたので、連絡し合い、やっと合流。

ハワイでは、
裏の佐藤さんに大変お世話になりました。

マンションのバーベキュー、昼食のお握り等、本当に楽しかったです。

ワイキキビーチからちょっと離れた場所にあるディスカバリーヴィレッジのバーベキュー専用フロア。
6基ほどのバーベキュー用設備があり、私たちが貸し切って使いました。

牛肉、チキンや野菜など、すべて佐藤さんご夫妻が準備し、私たちは焼いて、飲んで食べるだけ。

佐藤さんのお友達のメリーさんが、
米軍専用ホテルのディナーショウに誘ってくれました。

この写真は、夕食用の豚の料理を見ている様子。
豚一匹丸ごと葉で包み、蒸し焼きにしています。

周りの人は殆ど外国人(米軍関係者)で、日本人は二組だけだったように記憶しています。

ショウの司会も英語、
時折、日本人のために片言日本語を話していました。

デザートのケーキの甘さは尋常ではなかったです。

会津若松へ

2012秋

震災後スタッフの頑張りとチームワークは筆舌に尽くしがたいほどでした。
当然ですが、震災の年は何もしてあげられず、次の年の夏頃、秋田や山形、岩手への慰安旅行に誘ってみたところ、予想に反して福島が良いということで、急遽会津若松の東山温泉に決まりました。
福島県の風評被害に喘いでいる人達のことを考えたのでしょう。

「八重の桜」の舞台の鶴ヶ城ですが、この時はまだほとんど話題にもなっていませんでした。


翌日、皆で記念写真。

この後、喜多方までラーメン食べに。

うわさ話によると、
仙台の中学校の慰安旅行先が、
昨年から会津若松に復活したらしいのですが、太平洋側は通らず、遠回りをして新潟県から福島県に入る行程だそうです。

院長は別行動で裏磐梯の諸橋美術館のダリの作品を鑑賞。

写真撮影可能な唯一の被写体。
他の作品は❌

これらは夫々独立した作品で、
手前の唇は本当のソファで座れます。奥の鼻は暖炉のオブジェ。そして壁には2枚の風景画が飾ってあり、眼鏡をかけた眼に見えます。
ある位置から見ると、風変わりな顔に見えるのです。

中居さんではありません。
シブちんです。
いえいえ、ダリの作品ではありません!

みんな素面の顔で写真を撮っていますが、多分もう充分飲んだ後?
肉の量が多くて、食べ切るのに結構難儀をしました。

​それと、この温泉地のお湯は無色透明ですごく綺麗でした。

どごさ行ってきたんだべな。えっぱえ たがって。
患者さんから「せんべつ」をもらったので、お返しの品も入っています。

GUAM 3 2013.9.12

今年の目標は、「勉強とスキルアップ」です。

1月から始まったインフェクション・コントロールを皮切りに、インプラント講習会、ポーセレン新システム、院内感染防止講習会、歯内療法、臨床歯周病学会への参加、ホワイトニング講習会・・・目白押しのスケジュールです。

勉強会は、強制的なものではなく、楽しんで学ぶ雰囲気が漂っていました。

しかし、いくら楽しくても、勉強は勉強です。

息抜きも必要だし、
『よく学び、よく遊べ』の諺通り、
スタッフからの要望で、久し振りの海外慰安旅行を企画しました。

様々な事情で、全員参加は出来ませんでした。

日程は違いますが、
齋藤さん親子と太宰先生はデイズニーランド。
折しも16日から台風18号が日本上陸。
齋藤親子は13、14日だったため危機一髪で回避。
太宰先生は12、13日。

 

渡辺先生家族は、
計画が二転三転し、お盆休み中に沖縄に。

函館合同慰安旅行 2014. 7. 4

今井先生が勤務している時点から、いつか函館に行こうという暗黙の打合わせがありました。
しかし、今井先生の開業や、半年間の歯周病勉強会など等で気ぜわしく、具体的な計画は中々打ち出されてきませんでした。

半年ほど前に、「イカのおいしい時期に」という事で、今回の日程になりました。

今井デンタル、デンタルアジャスト、松田歯科の合同の、総勢21名の旅行です。
7/4〜7/6、2泊3日です。

予約や手配はほとんど全て今井先生が行いました。当院の幹事は高橋さんと高谷さんでした。
お疲れさまでした。

佐々木さんは安定期になっていましたが、第一子ということもあり、安全を期して別行動になり、ご主人と福島の温泉だそうです。

7.4(金) 8:06 仙台発 はやぶさ
   10:17 新青森発 白鳥
   12:22 函館着

約4時間の列車の旅で無事函館に到着しました。

あつみ温泉へ

6月9日(木)の午前中は、岩切小学校の歯科検診がありました。
12時過ぎには終わるだろうとの予測で、久しぶりに温泉に行く計画を立てました。
宿は憧れの萬国屋(院長いわく、一度は連れて行きたい宿)。

予想に反して、検診が終わり、医院に帰ってきたのは1時ちょっと前でした。
それから、院長と熊沢君の車に分乗し、まずは上の山に直行。

2017 慰安旅行

2017. 7.13(木)から15(土)までの2泊3日の金沢旅行です。

北陸新幹線

7/13(木)仙台07:12(やまびこ120)→大宮09:02(かがやき505)→金沢11:06

スタッフの中には、朝に弱い人がいます。

何かの催しの時に、危機一髪で電車に乗るという冒険映画のような活躍をするのです。

しかし今回は、全員余裕の乗車でした。(多分スタッフ間でメール等のやりとりをしてくれていたのではと、勘ぐっています)

​院長:今回の旅行は、本当の意味での慰安旅行で、全員揃っての旅行にしたかったのですが、数名の不参加があり、とても残念です。しかし行きたくなくての不参加ではなく、各自やむ得ない事情での不参加なので、むしろ同情いたします。

4時間ばかりの乗車時間は結構長いのですが、朝食を食べたり、パンフレットや「るるぶ」を読んだり、読書をしたりしながら、初めての北陸新幹線を楽しみました。

北陸新幹線は途中、長野と富山に止まるだけのものでした。

​金沢駅を出てまず目に入るのが、写真のようなモニュメント。

「あれ何?」

「写真で見たことある!」

​「るるぶで見た〜」

​「TVで見た〜」

 

複雑に構成された鉄骨を支える支柱が中に隠されていて(たぶん?)、上手にカモフラージュされています。

これが金沢駅のシンボルになっていると言えるほど迫力があります。

寺院や神社やお城や篝火を想起させます。

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時間があれば、あちこち回れます。

さあ 加賀百万石・能登半島の旅へ!

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